純白の衣装の彼が脳裏にきらめいた。
まぶしくって、涙がでそう。ううん、涙が出そうになったのは、きっとそれだけじゃない。
あと10年、早く生まれたかったな。
そしたら、あなたとロマンスできたのに、な。
■夢 the Dream
「・・・オパール、大丈夫?」
聞きなれた声にオパールが目を開けると、肩より少し伸びた赤銅色の髪の毛が目に入ってきた。ひんやりとした手が額に乗るのを感じる。
「・・・お父様・・・?」
――――・・・なん、だっけ。真っ暗だわ・・・夜なのかしら。
「熱、まだあるみたいだね」
――――熱? ・・・ああ、そっか。あたし、寝込んでたんだった。
「冷たい飲み物を持ってきたんだけど、いるかい?」
「・・・ええ、ありがと・・・」
ぼんやりとした思考の中、オパールは身を起こした。寝汗が冷えて、初秋の空気が少し寒く感じる。
渡された小さな容器をそっと抱えて、オパールは口をつけた。ほのかな甘さが体中にしみこんでいく。
「はー・・・生き返った気分」
とろん、とした声でつぶやくオパールに、ジオラルドは近くの椅子に腰掛けながら、なんだそれ、と軽く笑う。
「厨房の皆が、夜食がいるなら作るよって」
「・・・んーと、ううん、明日の朝でいいわ。まだ食べる気がしないの。今何時ごろかしら?」
「夜が丁度半分過ぎたところ」
「もう・・・そんな時間?」
オパールは鈍い思考で考えた。
気分が悪くなって、学校を早退したのは昼のことだった。自力で帰ってきたものの、帰り着いたときは高熱の状態で、玄関でふらふらと座り込んでしまい、たまたま通りかかったアラン王子が、血相を変えて部屋まで運んでくれて――――。
「風邪なのかしら・・・」
どうにもけだるい。体中が筋肉痛、のような痛みがする。ジオラルドは気遣わしげな表情で、オパールから容器を受け取り、口を開いた。
「お医者さまは風邪だって言っていたよ。で、ダイヤも寝込んでるんだ」
「・・・お母様も?」
意外な事実に驚きながら、オパールが話を促そうとしたとき、部屋の扉が遠慮がちにノックされた。
返事をする間もなく、そっと開いた扉から、人影がのぞく。
「――――ジオ?」
ささやき声で呼びかけてきたのはアランだった。ジオラルドは振り返って立ち上がった。
「ダイヤちゃんが呼んでるよ」
「え、ああ・・・うん、分かった」
言って、ジオラルドは申し訳なさそうにオパールの髪をなでた。オパールは微笑んで肩をすくめる。
「あたしは大丈夫だから、行ってあげて」
「ごめんね。来たばっかりなのに」
「ううん。おやすみなさい」
ジオラルドは笑顔で答え、軽く唇を娘の額に落とし、ゆっくり休むんだよ、と声をかけて踵を返した。入れ替わりにアランが室内に入ってきて、今までジオラルドが座っていた椅子に腰掛ける。
「起きてたんだね。気分はどう?」
その瞬間、オパールは昼に彼の前で嘔吐したことを思い出した。
アラン王子、きっと食事の前だったろうな・・・。そう思うと、なんだか気まずい。
「えーと・・・だいぶよくなったみたい。アラン王子・・・今までお仕事だったの?」
「うん。国内大会が来月にあるからね。僕まで仕事が回ってきて、朝から晩までてんてこ舞いだよ」
その言葉にオパールは深く反省する。
「アラン王子、昼間は手を煩わせてごめんなさい・・・・・・きっとそのせいで、こんな夜遅くまでお仕事する破目になったんでしょう?」
「え? いや、そんなこと無いよ。僕が忙しいのは父上の計らいさ」
それに、とアランは続ける。
「どういうわけだか、昼過ぎに、急にオニキスが『出場したい』って言い出してさ――――それの資料集めにも奔走する一日だったよ」
「オニキスが?」
うん、とアランは頷く。
「国内大会に?」
「うん、そう。何でもいいから出てみたいってね。でももうこんな時期だから、まず欠員が出てる種目をさらって、年齢制限の有無を調べて、それから期限切れで不足しかかってた参加届けを工面して、実行委員会の方に提出して――――って、忙しかったよ」
指を折って数えるアランの表情は、平気そうにつくろってはいるが、ふとした瞬間に疲労の色が浮かぶ。アラン王子をますます疲れさせるなんてアノ野郎・・・とオパールは何やら黒い感情を抱いて、ため息をついた。
「それで、オニキスは何の種目に出ることになったの?」
「ああ、ええと確か、1万メートル障害物競走だったかな・・・うん、そうだ。短距離は苦手だからって」
「1万メートルぅ・・・? って、10キロよね? それで障害物競走?」
アラン王子は遠くを見つめて半眼で言った。
「国内大会って、そんな変な種目ばっかりだから。なんていったってラボトロームだし」
「まあソコはあえてツッコミませんけど」
しれっと言ったオパールの言葉に噴出し、アランはさてと、とつぶやいて立ち上がる。
「元気が出たみたいでよかった」
―――――ああ、もういっちゃうのかぁ。
オパールは、ジオラルドに起こされる前に見ていた夢を思い出した。
―――――幸せな夢・・・だったな。アラン王子が真っ白な婚礼衣装を着てて、その視線の先には――・・・。
「じゃあオパール、僕はもう行くけど」
「待って! アラン王子・・・」
弾かれたように引き止めたオパールを、アランは驚いて見つめる。
「ひとつだけ、教えて」
「うん・・・?」
オパールはきゅ、と口を結んでから一気に言葉を紡いだ。
「忙しくしてるのは、王様のせいばっかりじゃないわよね」
オパールの早口にアランは面食らう。
「今朝、グーナーから聞いたの。アラン王子がついに1万件目の見合いを断ったって。普段、忙しくしてるっていうのは、お見合いを断る理由のひとつなんでしょう?」
オパールは息を吸って続けた。
「アラン王子って、それなりに地位もあって」
それなりに?
「フツーにかっこよくて」
フツーに?
「頭もいいし教養もあるし」
要するに、適度にってこと?
「尻尾もふさふさでかわいーのに」
成人男性に可愛いって。
「どうして片っ端からお見合い、断っちゃうの?」
いまいち突っ込みどころが満載だった発言に、オパールは言ってからしまった、と思ったが、アランは気にしてなさそうに片手で頭をかいて、ぽつんと言った。
「オパール、質問がふたつになっ」
「そんなこと聞いてないけど」
「・・・・・・・・・えーと」
アランは困ったように微笑んだ。
「じゃあ、ひとつ目の答え。それは、当たってるかもしれない。僕にも自覚がないんだ。んで、ふたつ目の答え。僕はロマンチストだから」
オパールとは対照的にゆっくりと言って、アランは椅子を元の位置に戻しながら、つぶやくように、椅子を見つめながら微笑んだ。
「運命の人を待ってるんだよ」
―――――その運命の人は、どこに?
喉まで出かかった声を飲み込んで、オパールはゆるゆると息を吐いた。
「アラン王子は、家族、欲しいとか思わないの?」
「んー・・・っていうか」
アランはオパールのほうを向いて、穏やかに笑顔を見せる。
「僕、兄弟は多いし、ジオやダイヤちゃんとこの皆も家族のようなものだし。だからそうあせって、自分だけの世界を作る必要も無いと思うんだ」
―――――アラン王子、ずるい。そんな答え。
オパールは不満そうに唇を尖らせながら、ずるずると布団にもぐりこむ。
―――――ずるいよ。期待しちゃうよ。
「オパール?」
「・・・何」
「君がなんで怒ってるのか、僕には分からないんだけど」
おそるおそると聞いてくるアランに、オパールは布団の中で苦笑した。
ホントに鈍感なんだからもぅ。
「あたしね」
ゆっくりと言葉を捜しながら、身体をまわしてアランの瞳を見上げる。
「さっき、夢、見てたの」
アランがぱちりとまばたく。
大地の色をした瞳―――――あたしはこの目が大好き。
「・・・夢の中でアラン王子が幸せそうだったの。それで、思ったのね。アラン王子は今、幸せなのかなって・・・」
今の生活をどう考えてるのかなって、ちょっと思っただけ。
オパールはゆっくりとまぶたを閉じた。
「聞いたら、とりあえずは幸せそうだから、安心したわ」
きっと、当分は、彼に相手なんて現れないだろう。彼が誰かを待ち続けている限り。
いつの日か、もし未来の花嫁が現れた時・・・。
それがあたしじゃなかったとしても―――――。
アラン王子は、アラン王子だわ。
そのままで、彼のまま。
さっきまでは、あと10年早く生まれたいって思っていたけど。
別に、今のままで構わないわ。
だって、あたしはあたしだから。
ずっと、いつだって。
あたしはあたしのままだから。
布団の淵を握り締め、目を閉じたままくすくすと笑い出したオパールに、アランはほんの一瞬だけ眉をひそめた。しかしすぐに、軽く息をついて、唇をオパールの額に寄せる。
オパールのくすくす笑いが糸が切れように、止まった。ぱち、と瞳が開かれる。
「おやすみ」
どこまでも優しげなアランの声が落ちてきて、オパールが顔を上げると、去って行くアランの後ろ姿が見えた。
オパールは頬が熱くなるのを感じる。
どうしよう。部屋が暗いままでよかった。びっくりして急に目を開けたの、分からなかったよね・・・?
アランが光差す扉の向こうに消えるまで、オパールはその姿をずっと見つめていた。
きらめく衣装が脳裏に浮かぶ。
今度もいい夢が見れそうな気がした。
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