ちょー雪の上の足跡




 ずいぶんと長く、瞳(め)をあけていなかった気がする。
 永い永い、けれど一瞬の甘い夢を見ていた気がする。

 ・・・ここは、どこだろう。
 ラボトローム山中の、ジオと2人で建てた家だったかしら。
 それともラボトロームの王宮かしら。
 ・・・ああ。コバーリムの森の中だったかも。
 でも、レフーラにもいた気がするわ・・・・・・。





 そう考えながら、ダイヤモンドは目を開けた。
 ひどく、頭がぼんやりとする。2,3回しばたたいて、きょろきょろと辺りを見渡してみる。
 「・・・ちょっとどこよココ」
 すさまじく殺風景な台地だ。足元は冷たく乾いて、土には亀裂が数多く入っている。

 気になることは色々あったが、何より、直立していたのが腑に落ちなかった。ダイヤモンドは眉をひそめる。
 「たったまま寝てたのかしら、あたし」
 「そういうことになるね、破魔の姫君」
 忍び笑いが辺りに響く。ダイヤモンドは弾かれたように顔をあげた。
 視界に入ったのは、岩陰から現れた1人の男。白く長い髪、年齢をかくした灰色の瞳。
 「リオ・アース?」
 呼ばれた男は、ちょっと笑ってみせた。
 「おはよう。身体の調子はどうだい?」
 「別になんともないわ。それより一体」
 「待って」
 ダイヤモンドの言葉をさえぎって、リオ・アースはゆっくりと言葉を紡いだ。
 「・・・まず、後ろを見てごらん」
 ダイヤモンドは言われるままに振り返ってみる。
 その瞳が、驚愕に見開かれた。
 7本の楡の木に囲まれるようにして立っていたのは、自分と、最愛のひとを包む琥珀色の楡の木。
 「ジオ」
 どうして、こんな所に…?
 「君たちは、オニキスの代わりに琥珀楡に身を投じ、世界の分銅となった。…覚えているかい?」
 静かに告げるリオ・アースを、ダイヤモンドは穴の開くほどみつめた。
 「…覚えて、いるわ。思い出した」
 リオ・アースはうなずく。
 「残念ながら、まだ琥珀を解除するには至っていない。けれど、長い尾を持つ魔術の王がね。君たち2人の意識を外に出られるようにしてくれたんだ。
 もっとも、魔法の律によって多少の制約はあるけどね」
 「バロックヒートが? それって、彼が勝手にしたことじゃないンでしょ? 誰が頼んだのよ? そんな大それたコト」
 一拍おいて、リオ・アースは答えた。
 「…子供たち」
 ――――問うまでもなく分かる。あの子たちはそんな子だ。やるなと言われたところで、止めることなんか絶対にない子たちだ。
 「…代価があるでしょ。代償とか。あの子たちは何を払ったの」
 うわずった声でダイヤモンドは尋ねる。対して、問いに答える白髪の魔法使いの声は、先程からとても静かで低い。
 「代価は、子供たち3人の記憶」
 ダイヤモンドは目を見開いた。何か言おうとするが驚きで声が出ない。
 「そして――――君たち夫婦同士の接触はできない。獣の王子と破魔の姫君が子供たちに会うことも不可能だ」
 「…なにそれ」
 やっとのことでしぼりだした声は、かすれていた。かぶりをふりながら、ダイヤモンドは呆然とつぶやく。
 「会え、ないの? ジオにもあの子たちにも?」
 「…望めば、どこへだって行けるよ」
 「そんなのっ」
 ダイヤモンドは細い指で顔をおおった。
 「会えなければなんっにも意味がないじゃないのよ…! どうして止めてくれなかったのっ」
 記憶をなくして。それなのに、両親に会うことができないなんて。そんなの、あの子たちが不憫すぎる。
 「君になら、止められたかい? 破魔の姫君」
 「…止めたわよっ止められたものならねっ」
 「残念だな。子供たちは、精一杯やれることをしたのに」
 「あたしは嬉しくないわ」
 きっぱりと言い切って、ダイヤモンドはリオ・アースを見すえた。
 「あたしとジオがあの子たちと過ごした歳月。たった4年と少しよ。
 分かる? 実際の記憶はその半分ぐらいしかないのよ赤ん坊だったから! そんなささやかな想い出を奪う、なんてひどいこと、しなくったっていいじゃない!」
 「そんなこと、私に言われてもな」
 「分かってるわよ!」
 叫んだ拍子に涙がこぼれる。
 「分かってるけどムカつくのよ誰にぶつければいいのよこんな感情っ」
 リオ・アースは閉口した。
 ダイヤモンドの瞳からは、ボタボタと音がしそうなくらい涙が溢れ出している。
 白髪の魔法使いはしばらく黙って視線を中空にさまよわせた。
 「バロックヒートかなやっぱ」
 「どこにいんの」
 「それが雲隠れしたのさ、魔法をかけたあと。君が怖くて逃げ出したんじゃないかな」
 ダイヤモンドはふと、笑った。涙はまだ乾いていない――――ようだ。

 「じーさん」
 以前一度だけ呼ばれた懐かしい呼び名に、リオ・アースはおや、と眉を上げる。
 「何かな小娘」
 「…どこへでも行けるって言ったわよね」
 「ああ。会いたい人を思い浮かべてごらん。夫君と話したいなら、誰かに言づてを頼めばいい」
 ダイヤモンドは、扇形のまつげを伏せた。
 「うん…ジオに…会いたいな…」
 リオ・アースは答えない。
 寂しそうに微笑して、ダイヤは考えをめぐらせた。

 会いたいひと。そんなの、たくさんいる。
 トードリアにも、ラボトロームにも、レフーラにも。会いたいひとはどこにだっている。
 ――――あたしいつの間にこんなに友人が増えたんだろう。

 「決めたわ」
 顔をあげてそう言うと、今まで距離をとっていたリオ・アースはゆっくりと近づいてきながら口を開いた。
 「そのまま、強く相手のことを思うんだ。その人がいる国、声、仕草、笑顔、何でもいい。
 想って。強く――――――――会いたい、と」

 会いたい。あなたに会いたい。

 ダイヤモンドは目を閉じる。

 あなたに会って、あなたの言葉を聴きたい。
 元気かしら…。
 私の大切な――――――――――――あのひと。






 不意に、空気が変わった気がした。
 ダイヤモンドはゆっくりと瞳を開いてみる。
 薄暗い回廊に、点在する壷や絵画。じゅうたんは国色を示す深いワインレッド。
 「なっつかしーわ。変わってないのね全然」
 ひとりごち、ダイヤモンドは嬉しそうに歩き出した。
 その背中に声がかかる。
 「あなた――――――――ダイヤモンド?」
 穏やかな水のような声。ダイヤモンドは反射的に振り返った。
 決して高くない身長。質素にまとめられて見えるが、実は高価な絹を幾重にも巻いた、南国の衣装を見にまとう女性。エメラルドの瞳に白髪まじりのやわらかい髪。
 ――――――――――――ああ。この人だわ。
 ダイヤモンドは懐かしくて泣きそうになりながら微笑む。
 「うんママ。・・・ただいま」
 身体が透けた自分の娘がしゃべったことに、レティシァはずいぶんと驚いたようだ。目を丸くしてダイヤモンドを見つめていたが、やがてゆっくりと言葉を紡いだ。
 「相変らず突拍子もないことをしてくれるのね。でも元気そうで良かったわ」
 「・・・うん。ママもね」
 「そんなところに立っていても仕方がないでしょう? 私の部屋にいらっしゃい。お茶を入れてあげるわ」
 たぶん、飲めない。でもダイヤモンドは嬉しかった。
 「へへ。ありがと」
 変わらない母の心が嬉しかった。





 「――――そう。そんなことがあったのね」

 あれから、レティシァは自室のバルコニーに置かれた小さなテーブルへと案内した。席はわずかにふたつ。
 用意されたカップにはまだなみなみと中身が入っていたが、すでに冷たくなっていることだろう。
 もうずいぶんと話し込んでしまっていた。

 「知らなかったの? 全然?」
 「ええ。まあ、うっすらとなら何かあったのだろうと感じてはいたけれども。でも私が聞いたところであなたたちを助けてあげられる訳じゃないわ。余計に心配させまいとして、誰も教えてくれなかったのね、きっと」
 「・・・わかった。今度、あいつやあいつやあいつらなんかに会ったら、バッチリと文句言っとくわね」
 レティシァは可笑しそうに笑う。
 「素でつきあえる友人がいることはいいことだわ。あなたがここを飛び出して獣さんのところに行ってしまった時は、本当に心配で心配で仕方がなかったけれど、ちゃんと立派に成長してくれてママは嬉しいわ」
 その言葉に、ダイヤモンドは視線を伏せてちょっと笑った。
 「成長・・・なんかしてないわよぅ? ママはこうやって私の相談にのってくれたりするけど、あたしは子供たちになにひとつ親らしいこと、してないもの。

 ・・・知ってた、ママ? 小さい頃に愛情をもらった記憶がない子供たちは、大人になってから人を愛することが出来ないんですって。暴力を受けて育った子供は、自分の子供にも必ず同じことをするらしいわ。
 ・・・・・・・・・・・・あたしは良かったわよ。いくらいじめられたって、ママとバロックヒートがいたもの。けど――――あの子たちは」
 ぽたり、とダイヤモンドの瞳から涙がこぼれ落ちる。その雫はテーブルに達する前に、溶けるように消えてなくなった。
 「あっ・・・あたしたちのことを覚えてないのよ? 自分が今までしてきたことも全部! 忘れてしまったのよ?
 そんな大切なことを決めたとき、きっと絶対怖かったはずだわ。なのにあたしたちのためにしてくれたのよ?」
 涙がせきをきったように溢れ出す。

 哀しい。口惜しい。子供のように声をあげて泣きたい。

 「涙はこんなにも熱いと感じるのに、足元の雪さえも溶かしてくれない。こんな実体のないあたしとジオを琥珀の中から送り出すために、記憶を売るなんて・・・! ばかみたいじゃないのよ!」
 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・でもダイヤモンド? あなたが逆の立場だったら、同じことをしたはずよ・・・?」
 低い声で、レティシァはつぶやいた。
 「きっと、子供たちは今のあなたのように、何も出来ない自分をもどかしく思ったんじゃない?」
 ダイヤモンドは視線を伏せたままだ。レティシァは苦笑する。
 「分かってるけど許せない、って顔だわね」
 言いながら、姿勢をぴっと正したレティシァは、決然と言い放った。
 「いいこと? ダイヤモンド」
 その声に押されて、ダイヤモンドは顔をあげる。涙で頬は濡れたままだ。
 「たしかに今のあなたじゃ、雪の上に足跡をつけられないわ。・・・でもね、あなたが今まで描いてきた軌跡そのものが消えたわけじゃないのよ?
 北の台地の雪原では、雪の降らない日には動物なんかの足跡が点々と残っているのが見えるんだそうね。
 ・・・それと同じよ。あなたの世界はまだ晴れていないのよ。
 いつかあなたが本当の身体をとりもどすまで」
 言葉を切って、レティシァは微笑んだ。
 「足跡はその時のまま、止まっているんだわ・・・きっと」
 すがりつくような表情で、ダイヤモンドは母を見ている。
 「嘆く必要なんか、ないわ。今の自分で明日をせいいっぱい生きなさい・・・」


 ――――――ダイヤモンドは目を閉じて思う。

 涙は確かに熱く感じるけれど――――足元の雪を溶かすには、涙よりももっと熱い『想い』が必要なんだわ。
 子供たちを愛しいと思う『想い』、友人たちを大切に思う『想い』、世界を救いたいと思う『想い』――――――――――。

 それらはいつかきっと、あたしを歩き出させてくれるだろう。

 「・・・ママ」
 しぼりだした声はかすれていた。レティシァは優しく首をかしげる。
 「愛してるわ・・・」
 レティシァはうなずいた。
 「ええ―――――私もよダイヤモンド」





 後日。バロックヒートはこっそりとレティシァのもとを訪れた。

 「怒っていたか」
 本来なら建物の2階にも及ぶ背丈の獣姿である彼は、今はちょっと事情があって、青い肌の少年の姿をしている。
 レティシァはちょっと笑ってから、口を開いた。
 「ダイヤモンド? それとも私のこと?」
 少年は困った表情でつぶやく。
 「どちらも、かな」
 「・・・あなたも相変らずねぇ」
 ジェムナスティの王妃のひとりである女性は、らしからぬ様子でふきだしつつ、答えた。
 「私が怒る理由はないわね。だから怒ってないわ。
 ダイヤモンドには――――会えばいいじゃない。直接会ってお聞きなさいな」
 「それがな。会ってくれんのだ」
 バロックヒートはますますしょんぼりとしながらうなだれた。
 「私が姿を見せた途端にどこか別の場所へ行ってしまってな。・・・やはり怒っているんだろうか」
 レティシァは声を上げて笑った。


 この間ダイヤモンドが帰る間際に言った言葉を思い出す。



 ――――――――――ねえママ。納得はしたけど、あたしまだ許せないコトだってあるのよ。
 ――――――――――仕返ししてやるんだから。



 レティシァの笑い声は、青く透き通るような空に溶けて、消えていった。



「ちょー雪の上の足跡」 完





解説
タイトルに使用した「雪の上の足跡」というのは
ドビュッシー作曲のピアノ曲にあります。
オスティナートと呼ばれる技法を鮮やかにちりばめた
ドビュッシーらしい、とてもきれいな曲です。
パロディのタイトルは野梨原先生にあやかって
すべて音楽から拝借する事にしています。

「ちょー雪の上の足跡」は、わたくしの処女作でございます。
色々と手直ししたいところとかはあるのですが、
それはおいおいやっていくことにします。


いかがでしたでしょうか?




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