十二国記

―郷 home



 碧空は今日も色鮮やかに金波宮を包んでいた。
 晩秋の気配漂う庭には、落ち着いた雰囲気の路亭(あずまや)が点在しており、その中のひとつには、ふたつの影がある。


 「――では、轍、というのは・・・・・・大きさが一定の車の車輪の跡なのですか?」
 「そうじゃ」

 一方は赤い髪の朝服を着た若い娘――――陽子。
 「車の車輪は、竹や木で出来ておるからのう。たとえ石の上であっても、掘り起こして跡をつくってしまうんじゃ」
 穏やかに解説をするのは理知的な眼差しの老爺、遠甫であった。

 ふたりはたいていこの場所で、午後のひとときを過ごす。祥瓊や鈴が加わることもあったし、陽子ひとりの時もあった。


 「大きさの違う車が行き交うと、どういうことになると思うかね、陽子?」
 「ええと・・・車輪が、出来た溝にはまってしまったりする、かな?」
 「うむ」
 遠甫は微笑んだ。
 「だから、車の大きさは決まっておるのじゃよ。特に幅に関しては、幾代も前の廉王が規定値を決めたと言われておる。半ば伝説じゃがの。そのうちに他国にも広がって、現在ではどの国でも同じ大きさの車が使用されておる。
 街道に残る轍のあとは、そういうわけじゃな」
 「なるほど・・・」
 陽子は息をもらす。
 「良く考えてあるんですね。レールのような役割なのか」
 「・・・はて。れえる、とは何かな?」
 蓬莱のことに関しては特に 好奇心いっぱいの遠甫に、陽子はくすりと笑った。
 「あちらには、列車というものがあるんです。こういった・・・形の溝の上を走る、自動の車で」
 「陽子!」
 その時、呼び声が辺りに響いた。陽子が振り返ると、鈴がやってくるのがみえた。

 「お話中にごめんなさい。陽子、・・・お客様なんだけど」
 少し声をひそめるあたり、何か含むところがあるらしい。
 「私に?」
 「ええ。今祥瓊が―――」
 延王を、と鈴が言うのと同時に、建物の影から祥瓊が現れた。彼女の後ろには、大小ふたつの影がある。まぎれもなく、延王尚隆と延麒六太であった。
 「これは――お二方とも、唐突なお越し――」
 陽子は慌てて立ち上がって礼をとったが、六太は苦笑しながらひらひらと手を振る。
 「堅苦しくしなくていいって。突然邪魔して悪かったな。・・・そこ、座っていいか?」
 どうぞ、と陽子は笑う。六太にかかれば、どんな悪党も気を許してしまいそうな気がするから不思議だ。これが景麒だと、どんなに心清らかな者でも彼を疑ってしまうような気がするのは何故だろう。


 お茶を頼む、と鈴と祥瓊に言い置いて、陽子は2人の貴人にむきなおった。
 「お久しぶりでございます。その後、お変わりは?」
 陽子の問いに、六太はにやりと笑う。
 「あったから来たのさ」
 「では・・・泰麒から連絡が?」
 「六太が妙案を思いついてな」
 今度は尚隆が答える番だった。陽子に座れ、と促す。
 「泰麒宛に青鳥を送ってみたのだ」
 陽子は目を丸くしながら腰を下ろす。
 「なるほど。・・・それで?」
 「とりあえず、元気になんとかやっているそうだ」
 へぇ、と陽子は答えて六太をみた。六太は肩をすくめる。
 「まあ今のところはまだ、小さな村に身を潜めて、かつての信頼できる者を辿っているらしいぜ」
 陽子は小さく息をつく。
 「地道な作業ですね」
 「だがまあ、確実に行くにはな」
 それはそうなのだが、と陽子は黙り込む。脇で老爺の穏やかな声が響いた。
 「主上がここで悩まれても仕方ありませぬ。今貴方にできることは、泰麒のために、ひいては戴の難民のために、すこしでも豊かな国を作ることですな」
 「戴の難民が慶に逃げ込めるように?」
 陽子の言葉に尚隆は笑った。
 「そういうことだな。雁よりも慶の方があたたかいし、戴からの距離もそう遠くないから」
 「チビだってきっと、期待してるぜ?」
 
その言葉に困ったように笑った陽子は、遠くから近づいてくる足音に視線を転じた。見れば、茶器を運ぶ祥瓊と鈴と、そして景麒と冢宰の浩瀚がやってくる。


 「景麒、浩瀚、延王と延台補が泰麒の様子を伝えに来てくださった」
 陽子が言うと、2人とも驚いたような表情をして近づいてきた。
 「延王君ならびに延台補。はるばるのお越し、痛み入ります」
 景麒が抑揚のない声で言って、礼をとる。同じようにして並んで、浩瀚も礼をとった。
 「陽子」
 更に後ろからついてきた祥瓊は、茶器とは別に何やら包みを抱えている。
 「祥瓊・・・・・・それは?」
 「陽子宛の贈り物よ」
 「贈り物? 誰から?」
 「氾王から」
 げっ、と声が上がる。
 「おれらがここにいること、見えてんのかなあ」
 六太のそのつぶやきに、一同がどっと笑った。


 「開けてみていいかな」
 陽子は了承を得てから包みをほどく。中からは、美しく細工された靴が現れた。
 「靴だ・・・」
 「相変わらず見事な腕だな、範は」
 「素敵ね。王宮を駆け回る陽子にはもったないぐらい」
 鈴が茶を配る手を止めて笑う。祥瓊も微笑みながら鈴を手伝っている。
 「履いてみないの、陽子?」
 「え?」
 鈴の言葉に陽子はきょとんとする。
 「だってもう、午後をまわったし」
 「・・・は?」
 今度は周りがぽかんとした表情になった。
 「いやほら、新しい靴は朝におろすものだろう?」
 「それは・・・・・・蓬莱の習慣ですか?」
 景麒が陽子をみやる。陽子は頷いた。
 「そう、だけど。でも習慣というよりは迷信と言った方が正しいかな。・・・ここでは違う?」
 「特には、ないな」
 六太が盛られた桃にかぶりつきながら答える。
 「でも俺らの時代にはそんなの、なかったぜ? な、尚隆」
 尚隆は頷いて茶をすする。
 「迷信といえば、せいぜい『ヒノエウマの女は男を食い殺す』、ぐらいだな」
 「あ、それって昔からあるんだ」
 驚いて言う陽子の隣で、浩瀚が首を傾げる。
 「失礼ですが、それは・・・?」


 「ヒノエウマっていうのはな」
 答えたのは六太だ。
 「十干・十二支のうちの組み合わせのひとつだ。
 十干っていうのは、甲(こう)乙(おつ)丙(へい)丁(てい)戊(ぼ)己(き)庚(こう)辛(しん)壬(じん)癸(き)のことで、十二支ってのは、子(し)丑(ちゅう)寅(いん)卯(ぼう)辰(しん)巳(し)午(ご)未(び)申(しん)酉(ゆう)戌(じゅつ)亥(がい)の十二の記号のこと。
 あちらの世界ではこの記号を組み合わせて60周期の物に名前を付ける習慣があるんだ。例えば、年だな。いつから始まったのかは知らないけれど、一年一年に名前がついている。甲子(かっし)・乙丑(いっちゅう)・丙寅(へいいん)・・・こーやって十干と十二支を一文字ずつ組み合わせて名前をつけていくんだよ。大昔の壬申の年に起きた乱のことを壬申の乱、って言ったりしてな。
 60年で周ってくるとはいえ、あっちじゃ人生60年、こうやって名前をつけるだけで分かりやすくていいだろ?
 ・・・で、60年で一暦まわって始めに戻るワケだから、60歳のことを“還暦”って言ったりするんだ」


 難しい講義にそれぞれ考え込んでいる皆に向かって、尚隆が脇で笑って口を開いた。
 「ヒノエウマの女、というのは、丙午(へいご)の年に生まれた女のことだ。けれど蓬莱では、ヘイゴともヒノエウマとも読む習慣があってな。 「火の兄(え)、馬」・・・という風に言葉遊びを考える者も当然いるわけだ。丙午の年に生まれた女は元気で気性が荒いようだ・・・結婚したら男を食い殺すだろう、とそういう迷信だ」
 「それって、ひどい差別だわ」
 祥瓊が眉をひそめて言う隣で、陽子は驚いてつぶやく。
 「・・・そうだったんだ?」
 「あら陽子、知らなかったの?」
 笑いながら鈴が言った。陽子はちょっと赤くなる。
 「ヒノエウマの迷信は知ってたけど、そういう理由があるとは知らなかった。それに・・・その、甲・乙・丙? それって、昔の学校の成績のことだと思ってたから・・・」
 だんだんと声が小さくなる陽子に、皆がくすくすと笑う。
 「主上、延王君や延台補がいらっしゃった頃の蓬莱と、鈴が居た頃の蓬莱とではまた、違うこともございましょう」
 景麒のその言葉に、今度は陽子がふきだした。
 「景麒に慰められると変な感じがするな」
 「・・・・・・・・・・・・」
  憮然として横を向く景麒の姿に、皆がまた声を上げて笑った。


 「・・・私の頃には」
 快活に話し出したのは鈴だ。
 「夜中に歌うとお化けが来る、っていうのがあったわ」
 「え、私の時代じゃ、しちゃいけないのは歌じゃなくて、口笛だったよ。北枕がいけない、というのは?」
 「あったわ。死んだ人を葬るまで北枕で寝かせるからでしょう?」

 浩瀚が軽く首を傾げる。
 「察するに、迷信にはなにかしらの理由があると思われますが・・・主上のおっしゃった靴の理由は一体なんなのでしょうね」
 「・・・・・・・・・なんだろう」
 陽子は顔をしかめた。
 「小さい頃からそう言われてきたから、理由なんて考えたこともなかったな」
 「新しい靴は午前におろす、か・・・」
 尚隆がつぶやく。皆もそれぞれに考えこんでいる。
 「単に、朝一番に見せびらかしたいだけだったりして」
 「延台補、それはいくらなんでも」
 祥瓊が微苦笑した。
 「もっと謎めいた理由がありそう」
 「んなこと言ったって、陽子の時代ってそんなんばっかりだぜ? 町じゅう、祭りでもねーのに着飾ってさ」
 「・・・そうなの、陽子?」
 「・・・ん、まあ当たらずとも遠からずってとこかな」
 はは、と肩をすくめて陽子は笑い、続けてあ、と口を丸く開けた。
 「・・・今思い出したけど、西枕で寝るとお金持ちになれるって」
 「えっ!?」
 鈴と祥瓊が同時に声をあげる。あまりにも勢いがありすぎてめんくらう陽子に、2人はまた同時に叫んだ。
 「なんで早く言わないのよそれ!?」
 「え・・・え? ごめん・・・??」
 「今夜から陽子は」
 「西枕よ?」
 にっこりと2人は笑顔で代わる代わるに言う。
 「なんっとしてでもお金を転がりこませなくちゃ!」
 「うちは貧乏なんですからね? お金が入るなら蓬莱の迷信でもなんでもすがってやるわよ」
 「そうとなったら祥瓊?」
 「ええもちろん」
 2人は盆を持って席を立った。
 「というわけで、わたくしたちは諸事情により退席いたしますわ」
 「延王君、延台補はどうぞごゆっくり」
 ・・・・・・陽子が止める間もなく去っていってしまった。


 「・・・えーと・・・」
 六太が呆気にとられながら、たはは、と笑う。
 「いいんじゃねーか。金波宮に女性の活気が戻ってさ」
 「・・・そういうもの、でしょうか・・・」
 同じように呆気にとられている陽子がぽつりとつぶやく。脇で尚隆が頼もしそうに発言した。
 「ま、楽観視することもたまにはな」
 「・・・そう、かもしれませんね・・・」
 視線を伏せて陽子は囁くように言い、しばらくして思い切ったように目をあげる。
 「履いてみても、いいでしょうか」
 「主上?」
 驚いたように景麒と浩瀚が口を揃えて尋ねる。
 「ですがあの――――」
 「・・・いいんだ、景麒。わたしは」
 息を吸って、陽子は笑った。
 「こちらに来てからいろいろ変わった。身の回りのことも、私自身も。こちらに来たおかげでいい方に変わることが出来た節もある」
 「主上・・・」
 「今さら蓬莱を引きずって何になる? 思い出を懐かしむならまだしも、わたしは理由もなく途方もないことでみんなに不快な思いをさせたくない。・・・・・・だから」
 ぐるりと見回すと、遠甫と目が合った。あたたかい、優しい眼差しだ。
 「履いてみても、いいだろうか」



 もしここで履くのを拒んだら―――――と陽子は思う。

 かつて車の道が他国に広がったように、慶だけでなく他国の民までもが自分を真似てしまうことだってある。
 それが「西向きに寝るとお金持ちになれる」という幸せな内容であればいいけれども。
 ヒノエウマの迷信のように誰かを不幸にしてしまったら、どうだろう。

 きっと――――私はいたたまれない思いをするだろう・・・・・・。



 「主上」
 最初に声を出したのは、浩瀚だ。
 にこりと笑って続きを言う。
 「きっと、お似合いになると思います」
 景麒は、と陽子がちらりと目を向けると、彼も穏やかに微笑んでいた。
 「わたくしも。そう、思います」
 めずらしい景麒の賛同に、陽子は照れたような表情になった。



 「・・・・・・そうかな?」




 金波宮には、今日も清々しい空が広がっていた。


―完―
2004/06/30 最終編集


―あとがき―

・・・申し訳ございません!(滝汗)

まず、謝らせてくださいませ。
というのは、「ひのえうま迷信」は江戸時代に始まったからです。
応仁の乱あたりに生きた尚隆たちは知るはずが

ございません。


途中まで書いてしまった後でそのことに気づき、
どうにも訂正できずにこうして公表してしまいました。



まあ、フィクションだと思って、あまりつっこまずに見てくだされば幸いです。(汗)



・・・今回は快挙を成し遂げました。
なんて言ったってこのパロディ、
構想に一日、パソコン打ちに二日。つまり三日で出来てしまったんです!!



一昨日、かりかりとノートに落書きをはじめたところから始まった物語。
上手い具合にまとまってくれて嬉しいです。

やればできるんだねわたくし!!!(感動・・・☆)





解説をさせていただきますと、
冒頭で陽子と遠甫が語り合っていたあの「轍(わだち)の跡」の話。
実際の中国で採用されていたことなんです。
とある王様(誰だっけか? 始皇帝だったかな?)が規定値を決めて、
車の大きさを決めたという話・・・実は有名らしいのです(知りませんでした/笑)
ソレを適当に脚色しました(爆)



大学で中国史の講義をしてくださったM田先生に感謝をします。



「ヒノエウマ迷信」については、
差別と迷信 ―被差別部落の歴史 ―
(住本健次・板倉聖宣 箸) 仮説社

を参考にさせて頂きました。

自主レポートを書くために買ったけれども、
結局書く気が起きずに書かなかったという本。
でも実際読んでみたらとっても面白い本でした。


「ヒノエウマ迷信」が差別であったのは、事実です。
でも本当にいわれのないもので、ヒノエウマの女性に全然問題はありません。
・・・であるのに、
当時平均153万人であった出生数は明治39年に139万人。
当時平均187万人の出生数は昭和41年に136万人。


・・・ものすごく減ってます。


人間の密かな差別の目って、怖いデスね。



「新しい靴は午前中におろす」
・・・これは、家族全員で実行していることです。
なんだか、午後に下ろすととってもよくないのだそうで。
「お墓で転んで出来た傷は治りにくい」
私的にはそれの次に、嫌な迷信です。


「夜中に口笛を吹くと・・・」
寄って来るのはお化けだとか、蛇だとか。
近所迷惑を防止する働きかけ、じゃないのかなぁ・・・
と疑っているのは私だけでしょうか(笑)
でも怖いからやりません。


「西枕はお金持ちに?」
根拠のないことですが、なぜかうちではそう伝わってます。

えーと、効果はありませんです、ハイ。
ごめんね陽子。祥瓊に鈴。


最後の方、遠甫の存在ががむなしくて申し訳ありません。
でも、大好きですよぅ、おじーちゃん!!



最後に、タイトルの話。
「郷 ―home―」
“郷” は “home”から連想して「ふるさと」とよんで欲しかったのですが。


タイトルを何度も何度も目で追うと、
「ごう ほーむ」・・・・・・「ゴー ホーム」・・・・・・「GO HOME」・・・・・・

「帰・れ」

・・・うわぁぁぁぁぁぁん!!!!
ごめんなさーいっっ!!
違うんです違うんですっっ!!!  だから帰らないで下さいませーーーえっえっえっ(滝涙)



・・・長々とお付き合いくださり、ありがとうございました♪





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